【1510】 誰かと一緒だから生まれるコンプレックス~無人島で一人で暮らせば悩まない~
先日、電車で二人の女子高生が髪の毛について話をしていました。
一人の子(Aちゃん)は自分の髪にコンプレックスを感じていて、
「太くてゴワゴワしているのが嫌」と話していました。
私は「そうかな?」と思いましたし、
もう一人の子(Bちゃん)も「そんなことないよ、きれいだよ」と返していました。
ところが、Aちゃんは「Bちゃんはさらさらだから羨ましい」と思っているのです。
確かに、比較するとそうかもしれませんが、
Bちゃんだけを見れば「十分きれい」と思えるレベルなのです。
そこで、今回は「コンプレックス」について、考えてみました。
上述のAちゃんはそれほどでもありませんが、時々、強い劣等感を抱えている人に出会います。
自分は人よりかなり劣っている、生きる価値がない・・・・・・、
そんな強い思いに囚われている人には、私たちは自然と「そんなことないよ」と声をかけたくなります。
一応「ありがとう」とは言ってくれますが、自分の囚われから解放されてはいません。
とても生きづらいだろうなと、心配になります。
逆に、優越感に浸っている人もいます。
このような自分が人より優れていると信じて疑わない人を見ると、
「いつか大やけどをするのでは?」と心配しますが、かける言葉が見つかりません。
そもそも、このような人には近づきたくないと感じることさえあります。
この「劣等感」も「優越感」も「コンプレックス」という言葉で括られますが、中身は全く違います。
では、人はなぜコンプレックスを感じるのでしょうか。
無人島で一人で暮らしているときには、コンプレックスは生まれません。
動物と一緒にいても、感じることはありません。
つまり、コンプレックスは「誰かがいるときにだけ生まれる感情」なのです。
それが親子であっても、兄弟であっても、比較が生まれた瞬間に心は揺れます。
人は、誰かと自分を比べることで、自分の位置を測ろうとします。
測れないとき、あるいは測った結果に納得できないとき、コンプレックスが顔を出します。
優越感を持つ人も、もしかするとその根底には「測られることへの不安」があり、
「優れている」という仮面をかぶることで自分を守ろうとしているのかもしれません。
その真実を隠す仮面が、私たちの心をざわつかせるのかもしれませんね。
人は、誰かがいるからこそ、癒されることもあります。
誰かがいるからこそ、成長できることもあります。
コンプレックスは、誰かと生きることの副作用だと思います。
人と関わることは、時にコンプレックスという痛みを伴うけれど、
それでも私たちは誰かと生きていくしかありません。
人生につきものの副作用として受け止め、あまり気にしなくてもいいのではないかと思います。
■本日の教訓
コンプレックスは人と生きる副作用。比べ合う痛みも、人と共に成長する証になる
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