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【第91号のテーマ】 渋沢栄一の格言五則 その2
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「日本を代表する事業家 渋沢栄一」の「論語と算盤」の
巻頭にある「格言五則」その2を紹介いたします。
発言盈庭。誰敢執其笹。(原文は詩経)
言を発して庭にみつ。誰か敢て(あえて)其の咎(とが)を執らん。
みんながそれぞれ意見を述べるが、誰もその責任を取ろうとしない、という意味です。
顧問先の会議において、良く見受けられます。
誰も何も言わない沈黙が支配する会議よりも
「あ~だ、こ~だ」と様々な意見が出た方が良いのですが、
その自分の発言における責任はどこか別のところにあるかの様に思います。
会議における決議は実行とその結果の検証を持って、一段落します。
PDCAですね。
実行をどうやってやるのか?
どういう成果をだすのか?
誰が責任をもってやるのか?
それが発言の中に無く、問題点だけ示して終わり、という無責任発言です。
反対意見も同様です。
反対はするけれど代替え案は無し。
それを問い質すと
それは上司が考えるものでしょう
それを考えるのがあなたの仕事でしょう
このような言葉が返ってくることがあります。
「発する」からには「責任を取る」
この関係性を大切にして欲しいと思います。
【お詫び】
昨日のメルマガに幾つかの誤りがあり、読者の方にご指摘を戴きました。
この場を借りて、お礼を申し上げます。
以下が修正箇所です。
(誤)2040年に新一万円札の顔となる
↓
(正)2024年に新一万円札の顔となる
2040年は先過ぎますね
(誤)り方について心得ていても、叱咤激励がパワハラと
↓
(正)叱り方について心得ていても、叱咤激励がパワハラと
原稿は正しかったのですが、この行の文頭の「叱」という文字だけ
配信ソフトで文字化けして、自動的に削除された様です。
(誤)叱るどころが、考え方や行動を正しているだけでも
↓
(正)叱るどころか、考え方や行動を正しているだけでも
「か」が「が」となっているのを見落としていました。
そろそろメガネを変えないとならないのかも・・・
以下に正しい全文を再掲します。
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2024年に新一万円札の顔となる「日本を代表する事業家 渋沢栄一」の
「論語と算盤」の巻頭にある「格言五則」を何度も読み返しています。
皆様に紹介したく、5回に分けて掲載したいと思います。本日は
言行君子之枢機。枢機之発、栄辱之主(原文は易経)
言行は君子の枢機なり。枢機の発は、栄辱の主なり
言行は君子にとって肝心かなめのポイントであり、
この引き金を引く一瞬で栄誉か恥辱かどちらかに決まる。
すなわち、言行は君子であるかどうかが決まるもっとも重要なこと。
君子を社長、リーダーと置き換えると良いと思います。
しかし、これは社長、リーダーに限ったことではなく、
人として、日頃から言行一致は基本です。
また、発言の仕方によっても栄誉か恥辱に分かれることがあります。
本メルマガでも、叱る、褒める、怒るについて、触れていますし、
私のセミナーでも叱ると怒るの違いを説明しています。
叱り方について心得ていても、叱咤激励がパワハラと取られることもありますし、
叱るどころか、考え方や行動を正しているだけでも、「圧を感じる」と言われることもあります。
それほど「発する」ことは難しいということですね。
人を指導、導く立ち場の人。社長、役員、部長などの地位が高い人。
発言と行動にはより一層自戒しないとなりません。
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