【第1,410号】 生きていくことは義務か?(3)~東洋思想と私の実感~
【1408号 生きていくことは義務か?(1)~社会と宗教から考える~】
https://km.kando-m.jp/news/mm1408/
【1409号 生きていくことは義務か?(2)~ 哲学の視点から考える~】
https://km.kando-m.jp/news/mm1409/
これらの続編となります。
前回は、哲学者たちの考え方の「生きる意味を自分で見出す」ことの大切さをお伝えしました。
今回は、老子や仏教など東洋思想の立場から、そして私自身の実感として、
「生きていくことは義務か?」という問いに向き合ってみたいと思います。
■老子と仏教の考え方
老子は自然の流れに従う「無為自然(むいじねん)」を重視しました。
仏教では、生きることは「苦」からの解放へ向かう修行とされています。
どちらも、生きることを義務とは考えず、
無理せず自然体で命をまっとうするという姿勢に価値を見出します。
■安楽死と尊厳死について
老子の立場から見れば、
人の手で死を早める「安楽死」は自然の摂理に反する行為とされ、受け入れられにくいでしょう。
一方で、無理な延命治療を控え、静かに死を迎える「尊厳死」は、
自然に従う行為として肯定される余地があると言えるかもしれません。
なお、日本では安楽死は違法です。
尊厳死に関しても明確な法律がなく、
本人の意思(リビングウイル)や医師の判断があっても、現場で適用できないことがあります。
そのため、尊厳死をめぐる法整備は、いまも重要な課題として議論が続いています。
■私の考え
私自身は、人には「生きる権利」があり、
同時にその中で果たすべき「義務」もあると考えています。
これは、法律や哲学だけでは語れない、私の実感です。
その「果たすべき義務」とは何か?
・家族や仲間との関係の中で、自分にできることを果たすこと
・仕事を通じて誰かの役に立つこと
・誰かに助けられたら、今度は別の誰かを助けること
・そして、自分自身に対して「よりよく生きる努力」をすること
極端な義務論にも、極端な個人主義にも偏らず、
「自由の中に責任がある」というこの考え方は、
私たちの文化や哲学、どちらにもなじむものだと思っています。
人は「生かされている」存在でもあります。
だからこそ、ただ生きるのではなく、
誰かの役に立ちながら、誰かに支えられながら、
この命をどう使うかが問われているのかもしれません。
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