【第1,408号】 生きていくことは義務か?(1)~社会と宗教から考える~
よくニュースで目にする「自殺」、高齢者や難病の方が向き合う「尊厳死」や「安楽死」。
そして、私の亡くなった母親が頻繁に漏らしていた「死にたい」というつぶやき。
こうしたことを思うたび、ふとこんな問いが浮かびました。
「生きていくことは義務なのか?」
答えが一つに定まるものではないし、簡単に語れるテーマでもありません。
だからこそ、一度じっくりと考えてみる価値があると思いました。
■法律的にはどうか?
日本では自殺は違法ではありませんが、他人の自殺を助ける「自殺幇助」は禁止されています。
また、国によっては安楽死や自殺幇助が合法とされているところもあります。
スイスでは、医師が処方した致死薬を患者が自ら服用する「自殺ほう助」が認められています。
一方、医師が患者に直接薬物を投与する「積極的安楽死」は禁止されています。
また、徴兵制度がある国では「国のために生きる義務」が課されることもあります。
つまり、法律上の義務として生を維持しなければならない場面もあるわけです。
■倫理・道徳の観点から見ればどうか?
宗教や伝統的な価値観によって、
「命は与えられたもの。生きることは義務」と考えることもあります。
すなわち、自殺や安楽死は……
どれほどつらい状況でも、できれば踏みとどまり、もう少し生きる道を探してみよう、
という考え方につながっていきます。
1.キリスト教では
命は神から与えられた聖なるものであり、自殺は神への背信行為として罪とされます。
かつては教会での葬儀が許されないこともありましたが、
現代では精神的な苦痛や病を理解する姿勢が強まり、
神の慈しみによって救われる可能性もあるとする考え方が広がっています。
2.仏教では
自殺は「悪業」とされ、命を絶つことは苦しみの根本的な解決にはならないとされます。
生きること自体が修行であり、苦しみと向き合うことが悟りへの道とされています。
たとえ命を断っても、来世にその苦しみが引き継がれると考えられ、
命を大切にすることが教えられています。
3.日本の伝統的価値観(儒教)では
命は親から授かった尊いものとされ、自ら絶つことは「不孝」と見なされてきました。
「身体髪膚(しんたい はっぷ)これを父母に受く」は、
命や身体を大切にすることが孝行の第一歩だと説いています。
生きることは、家族や社会への責任を果たす道でもあるのです。
第1回はここまで。
次回は、哲学の立場から「生きることは義務か?」を考えてみたいと思います。
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