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森ノ宮医療大学 10周年記念式典で淀川キリスト教病院 理事長 柏木哲夫先生のご講演の気付き第三弾です。
「癒す」
という言葉について、教えていただきました。
この言葉には2つの意味があります。
(1)病気、苦痛などをを治すこと
(2)長い間、欲しくてたまらないモノを手に入れること
末期の癌患者さんが入院される「ホスピス」では「癒される」ことが無いそうです。
何故なら、患者さんは「ホスピス」=「直らない」ことを知っているからです。
このブログを読んでいる方への投げかけです。
人生の最後の数週間を日々「苦痛」に耐え、「苦痛」の中で終えることをイメージしてください。
想像するだけで嫌になります。「ピンピンコロリ」と行きたいものです。
以前、尊厳死に関するセミナーで学んだときに下記の様FACEBOOKに書きました。
人生の最期(終末期)において、延命措置を希望するか、否か。私は希望しないし、かなりの方が生かされるための治療法は望まないのでは?と思います。
ところが、自分の両親や家族ならどうしたいかな?と思うと判断が難しいですね。あらかじめ、自分の意思(リビングウィル)が表明されていても、それを尊重することで、別れの日が早まるのですから、難しいと思います。
例えば、癌の終末期に在宅医療を受けており、容態が急変した場合、救急車を呼ぶか、呼ばないか?あらかじめ、相当の覚悟で、本人と家族と医師とで、取り決めをしておかないと難しいでしょう。
意識が無いまま、身体中にコードやパイプを付けられ、高額な医療費を負担し、貴重な医療保険の財源を減らす。それを避けたいという意思がリビングウィル。
日本ではリビングウィルは法整備が、まだ出来ておらず、本人よりも家族の意思が、尊重されるそうです。
ある日、突然の骨折、梗塞、事故などで、急に人生の終末に向かう時が誰にも可能性としてあります。どこまで尊重されるか、解らないけど、認知症になる前にリビングウィルを用意しておきます。
皆さんは救急車を呼ぶ、呼ばないの判断、どうします?終末期かどうかの判断が難しいから、難しいでしょうけど。
追記
純粋な老衰のみで死ぬことを目標に生きる事にします。介護保険、医療保険を使わない老後こそ、幸せだと思います。
延命は希望しませんが、安楽死は認められませんから、苦痛と闘わないとなりません。
この苦痛をどう癒せば良いのでしょうか?
大好きな音楽であっても、末期になればヒーリング効果は余りないと思います。
家族?
家族は「私がこんなに苦しんでいるのに、あなたはなんで元気なの!?」と「感情のはけ口」となるそうです。
末期の患者さんの共通の願いは・・・
(1)苦痛を取って欲しい
(2)気持ちを解って欲しい
の2つだそうで、「苦痛を取って欲しい」は「気持ちを解って欲しい」の前に求めるそうです。
余談ですが、パワハラ、セクハラ、イジメ、ストーカーも現在受けている苦痛やストレスをまず取り除いて欲しいという思いが先にあるはずです。それに対処せずに、話を聞くだけでは、解決にはならないでしょう。
話を元に戻します。
末期ですので、身体の苦痛を取るにはモルヒネなどを処方するしかありません。
周囲にいる人間ができるのは
「気持ちを解ってあげる」
ことです。
人間の感情は2つ有って、一つは
陰性感情
もう一つは
陽性感情
です。
陰性感情は、辛い、悲しい、寂しい、やるせない、むなしい、はかない、など一杯あります。
それに反して、陽性感情は、嬉しい、楽しい、などあまりありません。
「気持ちを解ってあげる」にはそれぞれの感情の言葉を折り込んで会話をすると良いそうです。
例えば・・・
それは辛いですね・・・
そうですか、悲しいですね・・・
本当にやるせないんですね・・・
それは楽しいですね!!!
それは良かったですね~
本当に嬉しいですね~
川越にある地域密着型でありながら、同じ検査入院するならこの病院が良い、と全国から検査入院に来られる川越胃腸病院の話を思い出しました。
癌の疑いがあり、入院された患者さんが看護師に「不安」な気持ちや今までの人生について語ります。その話を聞いた看護師が大泣きに泣き、患者さんが逆に看護師を慰める・・・と言うようなことがありました。
患者さんにとって看護師が癒しの存在であったはずが、逆に看護師を癒すことになりましたが、患者さんは「癒された」と思います。ある意味「究極の癒し」と言えるでしょう。
「相手の立場に立つ」という言葉を良く聞きますが、この看護師さんの様に
「気持ちを理解し、表現したい」
ものです。
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