【第1,409号】 生きていくことは義務か?(2)~ 哲学の視点から考える~
【1408号 生きていくことは義務か?(1)~社会と宗教から考える~】
https://km.kando-m.jp/news/mm1408/
これの続編となります。
前回は法律や宗教・儒教的な価値観から、
「生きることは義務か?」という問いを考えてみました。
今回はもう少し個人の内面に近づいて、哲学者たちの考えを辿ってみたいと思います。
■サルトルの存在主義
「人間はまず存在し、意味は後から自らの選択でつくる」
これはサルトルの有名な考え方です。
つまり、生きることにあらかじめ義務や目的はなく、
どう生きるかを選ぶ自由と責任がある。
生きることは「義務」ではなく、「自分で選ぶもの」であるという立場です。
■ニヒリズムとニーチェの超人思想
古い宗教や道徳の価値観が崩れた現代では、
「生きる意味も、生きる義務もない」と感じる人が増えています。
これは「虚無主義(ニヒリズム)」と呼ばれます。
ニーチェはこの虚無を否定し、
「それでも自分の力で意味を創り、人生を肯定して生きよ」と説きました。
それが「超人」という考えです。
生きることは義務ではなく、自分の意志で意味を見出し、
力強く生きることこそ大切だというメッセージです。
■ベンサム、ミルの功利主義
功利主義では、「行動がどれだけ幸福を生むか」でその価値が決まるとされます。
つまり、生きることで自分や他人の幸福が増えるなら、生きることには価値があり、
場合によっては義務的な意味も持ちうる・・・・・・そんな考え方です。
えっ?「結果が悪ければ価値がないの?」と思いますよね?
功利主義では、たしかに結果が悪ければ「良い行為」とは言えません。
でも、努力や思いやりの気持ちまで否定するわけではありません。
特にミルは、知性や道徳性といった「質の高い幸福」こそが重要だとしました。
たとえ失敗しても、その行動に意味や価値があるという見方もあるのです。
ちなみに、エジソン自身が、9999回の失敗を
「失敗ではなく、うまくいかない方法を見つけた」と捉えていたからこそ、
電球という発明にたどり着けたのだと思います。
だからこそ、結果だけで価値を判断する考え方には、
やはり無理があると私は感じます。
次回は、老子や仏教など東洋の思想と、
私自身の考えをお伝えしたいと思います。
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